新田氏と徳川家康(1)

新田氏と徳川家康(1)

徳川家康と新田氏の関係やいかに。

 

徳川家康[天文11年(1542)12月26日〜元和2年(1616)4月17日]

 

家康=松平家康(松平=三河地方の一豪族)

 

家康は、23才のとき(1566年)家康は三河一国を統一。
そこで、家康は朝廷に自分を三河守「従五位下三河守」に任命してくれるよう申請。(武力支配のみでなく、地位によるお墨付きを求めた。)

 

しかし、正親町天皇(おおぎまちてんのう)はそのような官職は由緒ある家柄の者にしか与えられないといったん拒否。

 

家康は自分は自分は藤原家の流れをくむ子孫であると主張。系図を添えて再度申請。朝廷で力のある藤原氏にも協力をあおぎ、その認可を勝ち取り、あわせて先祖の姓である「得川」の字を改めて「徳川」と名乗ることにしました。

 

家康が朝廷から、徳川姓を許される(1566)。=このときは、徳川=藤原氏
「従五位下三河の守」を賜るという目的のための改名であり、武家の棟梁としての改名ではなかった。→「姓」として認められている名門の姓であればよかった。

 

徳川=得川=新田氏=源氏となったのは、1603(慶長8)年が家康の将軍宣下です。

 

当時は、源・平・藤原・橘・菅原あたりを「姓」としていました。

 

さて、そこで疑問なのは姓とは?何なのでしょう。
今で言う、姓=苗字とは違っていそうです。

 

以下は、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai8/8siryou4.pdf のなかでの姓に関する資料である。

 

1 姓の意義

 

 せい
@姓は天皇から賜与されるもので、天皇・皇族は有しないもの

 

・わが国においては、姓は、臣民たることの表象として、その奉仕や忠誠の度合いに応じて天皇から賜与されるものであった。
・従って、天皇・皇族は姓を有しない。
・姓は、公式の呼称とされ、戸籍への登録、公文書における表記等に用いられた。
   【中国における姓】

・中国においては、姓は、その宗族にもともと備わっているものとされ、唐朝が李姓
であるなど、皇帝も姓を有していた。

 

A姓とウジ名とカバネの関係
                          せい
・支配層(貴族等)では、ウジ名とカバネをあわせたものが姓とされた。

 

【実例】
・藤原朝臣不比等... 姓は「藤原朝臣」(藤原=ウジ名、朝臣=カバネ、不比等=実名)
 ふじわらのあそんふひと
・源朝臣融... 姓は「源朝臣」(源=ウジ名、朝臣=カバネ、融=実名)
 みなもとのあそんとおる

 

【ウジとウジ名】

 

・ウジとは、古代において、祭祀・居住地・官職などによって結合した擬制的同族集団祖先・血統を同じくすると信じる擬制的な血縁集団ともいわれる)。大和政権では官職・地位はウジによって世襲され、土地・人民はウジが領有。
・ウジ名は、ウジに対して天皇が賜与。古代のウジ名は、地名(葛城、平群、蘇我など)
や職掌名( 中臣(神事)、大伴・物部(軍事))に由来。

 

【カバネ( 姓・尸)】

 

・カバネは、ウジの職務や家柄などの公的な地位を示すものとして、ウジの首長(氏の
上)に対し、天皇から賜与されたもの。5世紀末頃に成立し、7世紀末頃までには世
襲されるようになったと見られる。
・大化前代のカバネには、臣・連・君・別・直・造・首 (おみ・むらじ・きみ・わけ・あたい・みやつ・こおびと)などがあり、ウジの出自・職業に基づいて賜与。
・684年に天武天皇が、皇族を中心に新たな身分秩序を規定するため「八色の姓」と
やくさかばね
して、真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置を定める。